座談会一覧

問題傾向の変化 選択肢の文章が長くなった学校も

※本座談会は、2019年の入試前に行われたものです。

たとえを具体的に翻訳することが求められている

G それでは座談会を始めます。今日話す内容の提案者はO先生ですね。何を取り上げましょうか。

O先生 今日はですね、入試問題の傾向について話ができればと。特に設問の傾向について。記述が増えているというのはもちろん、ただ単純に全体をまとめるような記述であったりとか、気持ちを答えるような記述というのは普通に出ていますけど、それ以外のちょっと違ったタイプの記述も出始めているなという思いがあって。たくさん出ているわけではないですが、そういう傾向の変化について話ができればと。

G なるほど。では特定の学校ということではなくて、設問についてというようなものですね。なかなか広いテーマですね。わかりました、よろしくお願いします。
 ではまず、これまではどういう記述が多かったのか最初に確認してもいいでしょうか。

O先生 まず、たとえば物語であれば行動の理由であったりとか、それを気持ちに絡めて説明する、その時の気持ちを考える。あとは、気持ちの変化をまとめる。一歩進んで、そこから何かを学んだということであれば、主題的な要素を入れて全体記述として出すというような記述ですね。

G 物語だとそういうのがオーソドックスだったと。となると、その物語で何か新しくなったとかちょっと変わったことというのはあるものなんですか。

O先生 今までも出ていた問題でもあるんですけど、違ったタイプの問題で紹介するのであればフェリスの物語の続きを書かせるものなどでしょうか。

G なるほど。オーソドックスなものがあるのに対してそういうものもあるということですね。他にその物語系で珍しいなと思った記述というのはありますか?ほかの先生でも。

H先生 珍しいというより、傾向の変化という点では、ざっと見て「どういうことですか」と問う記述が多くなっていると思うんですよね。例えば2018年の栄光。「笑顔を張りつけたとありますが、どういうことですか」。割と物語とかの大事なところって、作家の技量として、このとき主人公はこのようなことを感じてこのような行動をしたんだ、ってあんまり具体的に書きすぎたら負けじゃないですか。だから、象徴的表現というか、たとえを使って書くことが多い。とくに肝心要となるところは。そこに線を引いて、どういうことですかって答えさせることによって、君は結局この物語が読めてる?ということを聞く。

G 本質的な理解を求めていて、テクニック的ではないと。

H先生 はい。それは説明文でもたまにあって、たとえば2014年の筑駒の、『ゴリラは語る』とか。「諸刃の剣とはどういうことですか?」「ゴリラは人間を映す鏡であるということはどういうことですか?」。とくに筑駒対策の詩の授業でやっている、たとえをより具体的に翻訳するってことが詩以外でもより求められてくるのかなと。たとえば2016年の駒東だったら、お姉ちゃんの恋人を好きになっちゃった主人公がそれは子供心の幼い憧れであったってことにも気づき…。

G 複雑ですね。簡潔に人物関係を教えてもらってもいいですか。

H先生 姉妹がいます。親はいません。それで、姉妹の近所に幼馴染というか、まあお姉ちゃんのことが好きな男の子がいます。妹はその男の子が好きだったんだけど、実はその男の子とお姉ちゃんが惹かれあっているってことが大人になってわかったので、最後に「あたし、これで小学は卒業しました」。これで締まるんです、この問題。

G なるほど。

H先生 それってどういうことですか、というのが最後の問題なんですね。それは幼年期が終わってその男の人のことは幼い憧れであった、もちろん子供なりに本気ではあったけれども…というのを書かせるんですけど、受験生は実際どれくらい書けたんでしょうね? こんなふうに、たとえを翻訳させる問題というのは結構見られるな、と。

O先生 傍線部を比喩で言い換えるというのが論説文とかは比較的多いんですけど、物語でもそういう問題だったらまず傍線部を見て、どういうことって言い換えながら今言ったように比喩のところを言い換えていく。たしかに比喩の記述ってのが最近増えている印象はありますね。

H先生 前回の座談会でも話題に出た、『あくる朝の蝉』なんかもそうですよね。エゾゼミが自分で飛んで地面に激突して、のろまなセミだなって思うけれど、実はあれは自分らの姿だよねっていう。

Y先生 蛍はどういうこと表しているかとか、セミはどういうことを表しているかみたいなやつですね。

G それはどこで出題されたのですか?

H先生 麻布か武蔵か、どっちの問題でしたっけ?

K先生 武蔵は「蛍」の意味を問うものを出して、麻布は「蛍」と「エゾゼミ」それぞれの意味を問う問題がありました。

Y先生 ほかの学校でも『あくる朝の蝉』が出題されているケースがありますね。2002年の晃華学園だったか1995年の駒東だったか、どっちかで確か蛍の意味を問う出題があった記憶があります。

G なるほど。

K先生 比喩の操作に関する問題って結構難しいなって思うんです。このたとえがつまり何を表すのか、ということを理解しなくてはいけませんから。「謎かけ」に近い部分もあるかもしれません。そういった意味ではあまり見たことない問題でいうと、桜蔭。2018年の桜蔭では説明文で「本文中のたとえを使って書く」という記述問題がありました。比喩っていうのは「あるメッセージ」を伝えやすくするものなので、比喩自体を使って書くということはあまりないのですが、この設問は「比喩が何を伝えやすくしているのか」をひとまとまりとして理解してから書こうっていう問題です。

Y先生 本文を傍線部の周辺ふくめて読ませて、そこのたとえを理解したうえでそれをちゃんと説明しなさいというやつですね。

H先生 2017年の芝では、もう治らない病気の女の子があたしはもうこの運命を喜んで受け入れようと思う、で話が終わる。それはどういうことですか、と聞いていました。

G それ、比喩ではない?

たとえを共通点から探っていく

H先生 比喩ではないけれど、運命を受け入れるって割とありがちな決まり文句ですよね。それって具体的はどのように生きていくことなの?っていう。物語の根幹にかかわるところが、たとえとか端的な言葉になっている。

G それを説明するってことですよね。

H先生 そこは、生徒がたいてい「わかるけどどう書いていいかわからない」ってなるところ。

G どうやって指導すればいいんですかね?

Y先生 私はいつもたとえというのは共通点だからって話をする。たとえというのは共通点、まったく別々の物なんだけどもなんか共通点があるわけだから使われるわけですよね。まずそのたとえとして示されている物が何なのか、どういう性質のものなのかってことを考えたうえで、どういう点が重なっているかを読み取ろうという話をします。

G たとえを共通点から探っていくというのは詩も同じでしょうか。

H先生 詩も同じです。だからいつもH先生はバラのようだ。というたとえを出します。

M先生 それはバラのように…

H先生 美しいと言ってほしいのですが、そのうち枯れるとか、そんなことを生徒は言ってきますよ。

国語座談会第3回(2)に続きます。7/5頃公開いたします。

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